中国 生活ブログ by 【中国遼寧省/瀋陽ガイド】
瀋陽の伊勢丹デパート
瀋陽の伊勢丹デパートは、昨年の3月24日に太原街の中心地近くに開店し、年中無休で営業しています。
店内には、特選ブランドを含めた洋品・雑貨の品揃えの約60%を瀋陽初登場ブランドにて提案しています。
また、地下1階に展開するスーパーマーケットとフードコートも、従来の瀋陽には存在しなかった高級で「おいしさ」「安全」を提供しており、7階の国際色豊かなレストランとあわせ、「食」の充実も大きな特徴になっており、お刺身や日本製品のビール等も陳列されています。
見通しが良く回遊性が高いフロア、各階同じ位置に設置した休憩スペース、バリアフリーの試着室などで、お客さまの快適なお買物をサポートしています。
婦人服・子供服のフロアに設置されている、クラブカウンターによるブランドの垣根を越えたショッピングガイドや、婦人靴・紳士靴・子供靴のシューズカウンセラーや婦人肌着カウンセラーによるアドバイスや、子供書籍の読み聞かせなど、お客さまの側に立った特色あるサービスも提供しています。
瀋陽紅梅の味の素
瀋陽市の国有企業「瀋陽紅梅味精」は、1998年1月七つあった関連会社が統合され、「瀋陽紅梅企業集団有限責任会社」を設立しました。
瀋陽紅梅企業集団有限責任会社は、中国国内で最初にできた味の素企業の一つで、中国国内の味の素を生産するリード企業でもあります。
中国発酵工業協会味の素分会理事長単位で、沈陽市八大直属企業集団の一つであり、東北三省ではいちばん大きい調味料生産企業です。
瀋陽紅梅企業集団有限責任会社が生産する紅梅プレートの味の素は、中国国内外の市場に高いシェアを持っています。
その純度は高く、鮮度はよく、クリスタルは潔白であり曇りがない、吸湿性などの特長は有名です。
現在集団には多くの子会社があり、主な製品は味の素、食塩、鶏精、醤油、半酢、陳酢、飼料蛋白添加剤、ビスケット、冷飲と色刷りなど様々な種類があります。
瀋陽紅梅企業集団有限責任会社は1979年、1983年、1988年の3回も中国品質金賞を獲得しました。
また、1988年に同業者の中で一番最初にISO9001の品質体系認証を獲得しました。
1997年4月「紅梅」プレート商標は、国家商工局に「中国商標に名をはせる」と決められました。
遼寧省出身の俳優・コメディアン「趙本山」
趙本山(ジャオ・ベンシャン)、1958年7月19日生まれの、中華人民共和国遼寧省出身の俳優・コメディアンです。
中国・東北部の地方芸能である、二人転と小品の俳優として有名です。
今日、二人転や小品が有名になったのは趙本山の功績が大きいとされています。
趙本山さんは幼くして孤児となり、さまざまな舞台劇を学び演じるなかで、相声の名手・姜昆に見いだされて、1967年の春節聯歓晩会に初出演し、有名になりました。
現在では、小瀋陽など多数の弟子もかかえています。
瀋陽蒸気機関車博物館
瀋陽蒸気機関車博物館の建設場所は、鉄西森林公園の南の地域にあります。
鉄西森林公園は市の西部、重工北路・重工南路と建設西路の交差点の西側に広がる、以前は於洪苗圃と呼ばれた育苗公園でした。
蒸気機関車博物館は、その公園の一番南側にあります。
建設西路の北側から入って少し北へ行くと、左側にその姿を現わします。
瀋陽蒸気機関車博物館は中国国内初の最大の蒸気機関車博物館です。
館内にはアメリカ、日本、ロシア、ベルギー、チェコスロバキア、ポーランド、ルーマニヤ、ドイツ、中国など8ヵ国の退役した全16 台もの蒸気機関車が収蔵されています。
その中の1907 年アメリカ製のDBI型機関車は、最も古い機関車で、日本製の“アジア”号機関車は、この瀋陽蒸気機関車博物館に世界で唯一残されている型式の機関車です。
10月24日追記
現在、瀋陽蒸気機関車博物館は遼寧省瀋陽市山茶街に移転したようです。
中国の三大節句の一つ「中秋節」
中国旧暦の8月15日(今年は10月3日)は、中国の三大節句の一つ「中秋節」です。(残りの2つは旧暦の正月である「春節」と旧暦5月5日の「端午節」です)
月は古来より「家族団欒」を代表してきました。
その月が1年で最も丸く明るく照り輝く日が、旧暦8月15日なので、この日を中秋節として家族団欒を表わす日となりました。
この日は家族が集まり、月を愛でる中国の伝統的な祭日で、全国では国定休暇となりお休みです。
丸い月を団欒の象徴と考え、豊かな収穫を目前にしたこの日に家族が集まり、月餅を食べ幸せで円満な生活を祈ります。
月餅を食べる習慣は、昔の中国・元朝末年に始まりました。
中国・唐代には白居易、杜甫など中秋の名月を詠んだ歌が多く、この頃には中秋の月見が盛んだったことがわかります。
中秋節の由来
昔、昔、そのまた昔、10の太陽が一度に空に現れたことがありました。
大地は荒れ果て、海は干上がり、人々は暮らしを立てることすらできなくなりました。
このころ后 (ゲイ)という勇敢な若者がいました。
その力は万斤の宝の弓を引くことができ、どのように恐ろしい獣でも射ることができたといいます。
彼は人々の苦しむ様子を見て宝の弓と神の矢を持って一気に九つの太陽を射落としました。
最後の太陽は許しを乞い、后 が怒りを静め弓を納めて、太陽に人々のために決まった時間に昇り、沈んでいくことを約束させました。
后の名前は天下にとどろき、人々は彼を敬いました。
その後彼は嫦娥(じょうが)という娘を嫁に娶りました。
嫦娥はとても美しく、そして穏やかで、聡明な女性でした。
二人の仲はむつまじく、幸せに暮らしていました。
とくに嫦娥は心やさしく、常々夫の狩ってきた獲物を皆に分け与えており、人々からの人望も厚いものがありました。
そしてみなは、后 はよい嫁をもらったと噂しておりました。
ある日、狩の途中で后 は一人の年老いた道士に出会いました。
老道士は后 の人となりに感服し、一包みの不老長寿の薬を与えたのでした。
この薬を飲めば不老長寿を得ることができ、天に上り仙人になることができるのです。
しかし后 は妻や自分の周りの人々と離れて、一人天に赴こうとは思いませんでした。
家に帰ると不老長寿の薬を嫦娥に渡し、つづらの中にしまわせたのでした。
このころ后 のもとには、彼の威名を慕って多くの人たちが集まっていました。
その中に蓬蒙(ほうもう)という悪賢い者がおりました。
蓬蒙は不老長寿の薬を奪い、自分で飲んで仙人になろうと考えたのです。
その年の8月15日、后 は弟子たちを連れて狩に出かけていました。
夕暮れ前に蓬蒙はひそかに戻り、嫦娥の部屋に忍び込み不老長寿の薬を渡すよう嫦娥に迫ったのです。
嫦娥はやむにやまれず薬を全部飲んでしいました。
すると彼女の体は突然軽くなり、窓を抜け出し、一直線に空高く舞い上がったのです。
しかし彼女の夫を思う気持ちは強く、地上から一番近い月に彼女は降り立ちました。
后が家に戻ったとき、すでに妻・嫦娥の姿はありませんでした。
侍女の話でようやく后は事の次第を知ったのでした。
急いで外に出て月を見てみると、月はいつもよりも丸く、いつもよりも輝いて見えました。
それは愛する妻が自分を見守ってくれているようでもありました。
彼は覚悟を決めて月を追いかけました。
しかしどうしても月にたどり着くことはできません。
后は妻を思うと心張り裂けんばかりでした。
彼は庭に嫦娥の好きだった果物などをおき、彼女を祭りました。
近くの人たちもそれにならい、果物をのせたテーブルを供え心やさしい嫦娥をしのんだのでした。
次の年の8月15日の夜。
この日も月は特別に丸く、明るく輝いていました。
そして后はこの日も果物をたくさん置いたテーブルを月明かりの元に供えて妻を思ったのです。
それが毎年続き、世間にも伝わり、8月15日が中秋であったことから中秋節としてお祭りするようになったということです。
月の月宮に入った嫦娥ですが、彼女は日々夫を思い、故郷を思いどのようなご馳走も美しい舞も彼女の心を和ませることはできなかったといいます。
毎年8月15日、嫦娥は宮城の門の外に出て、はるか地上の故郷を眺めるのでした。
この彼女の美しいその顔が、月を、さらにさらに輝かせ、さらに丸く見せるのだということです。
中国・建国60周年の建国記念日(国慶節)
今年は中華人民共和国建国60周年の大きな節目の年に当たり、10月1日の建国記念日(国慶節)には例年以上の規模の祝賀イベントが行われています。
現在、国慶節の期間中、北京では盛大な閲兵式や市民によるパレード、大規模な文芸公演などの祝賀行事が開催されています。
国慶節期間中に、瀋陽でも各祝賀行事が順調に行われるよう全力をあげて取り組んでいます。




























